隣の崖の所有者に防護擁壁の設置を求められるか?
平成30年7月豪雨では、土砂崩れにより多くの被害が発生しました。このため、崖、急傾斜地に隣接する宅地等の所有者が、崖の所有者に対して、新たに土砂崩れ防止のための擁壁の設置を求めることもあります。この度の豪雨の後、私も、崖の下の宅地・住宅の所有者から何百万円もかかる防護擁壁を設置するよう求められたという、崖地の所有者からの相談を、受けました。
崖、急傾斜地の所有者は、下の宅地等の所有者に対して、土砂崩れ防止のための防護擁壁を設置する法的な義務を負うのでしょうか。
1.裁判例の傾向
この点に関する裁判例ですが、このような事案に関するものは、それほど多くありませんが、「崖の所有者と隣接する宅地などの所有者が費用を分担して、土砂崩れ防止のための防護擁壁を設置すべき」と判断する傾向にあるようです。
例えば、東京高裁昭和58年3月17日判決(判例タイムズ497号117頁)は、昭和49年静岡県のいわゆる「七夕豪雨」により、隣接する急傾斜地で地滑りが発生し、大量の土砂が所有地内に流入した宅地などの所有者が、急傾斜地の所有者に対して、土砂崩れ防止のための防護擁壁の設置を求めた事案です。
東京高裁は、以下のように判断しました。
「(土砂崩れなどの)危険が相隣地(隣接する土地)の関係にある場合に、それが土地崩落を内容とするものであり、しかも隣接土地所有者の人為的作為に基づくものでないときには、(急傾斜地所有者に対して危険防止の措置の)請求をなし得ない」
「このような場合には、むしろ土地相隣関係の調整の立場から・・・相隣地所有者が共同の費用をもって右予防措置を講ずべきである」
このように東京高裁昭和58年3月17日判決は、土砂崩れ防止のための防護擁壁は、急傾斜地の所有者と隣接する宅地などの所有者が費用を分担して設置すべきとして、宅地所有者からの急傾斜地の所有者に対する防護擁壁設置の請求を認めませんでした。
東京高裁昭和51年4月28日判決(判例タイムズ340号172頁)も、同様の判断をしています。
以上のように、急傾斜地の土砂崩れ防止のための防護擁壁設置に関する、東京高裁昭和58年3月17日判決と東京高裁昭和51年4月28日判決は、いずれも急傾斜地の所有者と隣接する宅地などの所有者が擁壁設置費用を分担すべきと判断しました。
2.判断が異なった裁判例
これに対して、隣接する土地に約4メートルの高低差があり、高地側に擁壁が設置されていたところ、その擁壁が倒壊する危険があるとして、隣接する低地の所有者が高地の所有者に対して、擁壁の改修を請求した事案では、裁判所は異なる判断をしました。
第一審の横浜地裁は、高地所有者が3分の2、低地所有者が3分の1の費用をそれぞれ負担して、擁壁を改修すべきと判断しました(横浜地裁昭和61年2月21日判決・判例タイムズ638号174頁)。
しかしながら、控訴審の東京高裁昭和62年9月29日判決(篠塚昭次外「境界の法律紛争」[第2版、有斐閣、1997年]222頁)は、以下のように述べて、高地所有者が擁壁改修費用の全額を負担すべきと判断しました。
「所有権に基づく妨害予防請求権は、所有権の円満な行使を侵害する可能性が客観的に極めて大きい場合において、これを予防するため、現に侵害のおそれを生ずる原因をその支配内に収めている相手方に対し、これを除去して侵害を未然に防止する措置を講ずること等を請求する権利であるから、右侵害を生ずる原因となるべき物の所有者(相手方)は、右侵害の蓋然性が不可抗力により生じたことを主張、立証しない限り、これが自己の故意、過失によって生じたか否かにかかわりなく、右予防措置を講ずべき義務を負うものであり、かつこれに要する費用も、その多寡を問わず全額、右相手方において負担すべきものと解する」
3.裁判所の判断が異なった理由
東京高裁昭和58年判決と東京高裁昭和51年判決が、いずれも防護擁壁設置費用を隣接する各土地の所有者が分担すべきと判断したのに対して、東京高裁昭和62年判決は高地所有者が擁壁改修費用の全額を負担すべきとして、裁判所の判断が分かれました。これは、昭和58年判決と昭和51年判決とが、いずれも、ほぼ自然の状態の急傾斜地の土砂崩れの危険が問題とされたのに対して、昭和62年判決では高地側に設置された擁壁の倒壊・崩落の危険が問題とされており、両者で「侵害の危険」が生じている原因が異なったからと考えられます。
そして、上記のように東京高裁昭和58年判決は、「(土砂崩れなどの)危険が相隣地(隣接する土地)の関係にある場合に、それが土地崩落を内容とするものであり、しかも隣接土地所有者の人為的作為に基づくものでないときには、(危険防止の措置の)請求をなし得ない」と述べています。ここで、東京高裁昭和62年判決の事案の高地側の擁壁は、「隣接土地所有者の人為的作為に基づくもの」といえます。したがって、東京高裁昭和58年判決の考え方からしても、東京高裁昭和62年判決の事案における擁壁の改修費用は、高地所有者が全額負担すべきと判断されたと考えられます。
4.まとめ
以上のことから、裁判例では、ほぼ自然の状態の崖地、急傾斜地の場合、土砂崩れ防止のための防護擁壁設置にかかる費用は、崖地、急傾斜地の所有者と隣接する宅地などの所有者が分担すべきと判断される傾向にあるといえます。
ただし、この点に関しては、学説も一致していないことから、必ず裁判所が、そのように擁壁設置の費用を分担すべきと判断するとは言い切れません。
なお、擁壁設置の費用を分担すべきとされた場合の、費用の分担割合ですが、上記東京高裁昭和51年判決は、「通常は平分(2分の1ずつ)と解する」としていますが、ケースバイケースで異なるものと考えられます。
以上